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カルチャースタディーズ 30代インタビュー 第3回

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文芸評論家 浜崎洋介さん
【略歴】文芸批評家/専攻は日本近代文学、文芸批評、比較文学。
日本大学芸術学部卒業。
東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了・博士(学術)。
現在、東京工業大学・日本大学芸術学部非常勤講師


三浦が大学時代に愛読した劇作家・福田恆存は、当時、保守反動の思想家と言われていた。しかし昨年、生誕100年をひとつのエポックとして再評価の気運が盛り上がっているように思われる。その先頭に立つのが、浜崎洋介さんだ。浜崎さんの著書『福田恆存 思想のかたち』については『東京人』で紹介した。福田の現役時代を知らない世代が、福田に惹かれる理由は何か?

なぜ福田恆存か?

三浦 展(以下 三浦):今日はありがとうございます。浜崎さんの『福田恆存 思想の〈かたち〉』を読んで、とても面白く、『東京人』の書評でも取り上げさせてもらいました。もともと分厚い博士論文なので、私がそれを理解して、気のきいた質問項目をすることはとてもできないものですから、ごく初歩的な質問になりますけれども、よろしくお願いします。
最初はごく基本的な質問で、「あとがき」によると、修士論文が小林秀雄で、そのあと福田恆存と出会ったということですけど、いかなる出会い方だったのかというあたり。なぜ興味を持ったかとか。おそらくグサッときたフレーズとかあったと思うんですけど、そのへんを伺えればと。

浜崎 洋介(以下 浜崎):まず、前段からお話すると、実は大学院の入試時間を僕が間違えてしまって、1年、浪人しているんですよ。英語の試験は受けたんですけれど、その次の筆記の論述試験のときに時間を間違えちゃって。

三浦:それは、東工大で?

浜崎:東工大ですね。もともと、東工大しか行く気はなかったので。

三浦:あぁ、慕っている先生がいらっしゃったのね。

浜崎:そうですね。当時は東工大に、井口時男という文芸批評家がいたので。しかし、まぁ親も反対するなか大学院には落ちて、ますますどうしようかというなかで、社会に放り出されたというわけです。そんな時、ちょうど柄谷行人が「NAM(New Associationist Movement)」という社会運動を立ち上げていたんです。

三浦:浜崎さんは1978年生まれですよね。2001年卒か。

浜崎:そう、ちょうど小泉改革が始まるころですね。で、柄谷は高校時代からずっと読んでいて、大学時代も、例にもれずというか『批評空間』なんかを読み続けて、かつ、なんていうんでしょうね、ずっと自分を託しているようなところもあったんです。ただ、行くはずだった大学院に行けないまま、空っぽの状態で慣れない社会に放り出されてっていうなかで、どうにか身元保証が欲しいというような気持ちもあったかもしれません。

三浦:じゃあ、卒業してどうしたの?

浜崎:いきなり『フロムA』を見て。

三浦:就活はしてなかったの?

浜崎:まったくしていなかったんです。

三浦:じゃあ、アルバイト?

浜崎:はい。で、まぁ、塾の講師かなぁという感じで(笑)。カツカツで、どうにか食える程度で。

三浦:ご自宅は浦和でしたっけ?

浜崎:いや、転勤族なんですね。父が保険会社に勤めてまして、各地を転々としていました。ただ、当時は祖師谷大蔵の親元にいたんですが、政治へのルサンチマンと、社会正義とを混同するようなところで、僕自身がNAMに入っていく、と。
ただ、1年か2年ですぐNAM運動が潰れていく。あれだけ原理論と理想論を掲げて、かつ、これが最後の一歩なんだと言いながら、それが相当みにくい形で終わっていくというのを内部から見ていて、内心、忸怩たる思いもありました。しかも、僕自身がまさに「命がけの飛躍」だと思い込んで、それを信じていたわけですから。
ただ、後になってみれば、世間知らずの若造が、社会革命、あるいは理念などに飛びついて、身元保証したかっただけなのかもしれないというような疑念も湧いてきますし、そんな自分のエゴイズムにも嫌気がさしてくるわけです。そんなこんなで大学院に入ったときには、もうすでに、大学の延長線上ではなかったですね。そこで初めて、政治と文学といいますか、文学が「私」の問題とするならば、政治が「社会」の問題だと。それがどういうふうに交点が結べるのか、いや、それは直接には結べないんですが、当時は、それが結べなければ自分自身の立ち位置はあり得ないのではないかというような切迫した感覚のなかで、それを総括するつもりで小林秀雄を対象に選んだんです。
 彼自身も「政治と文学」というエッセイを書いていますし、かつ、「あとがき」にも書いたことですが、昭和初年代という最も政治的な時代のなかで、あれだけブリリアントな同時代批評によって登場した小林が、いったいなぜ後に「伝統」などということを言い出したのか、と。たとえば、デビュー当時の「様々なる意匠」などを読むと、現代思想なんかにかぶれた人間からすると、非常にわかりやすい。「脱構築」なんていう言葉がピッタリ合うような、論争的な文章を小林は書いていたんですね。 ただ、そんなポレミックな批評を書いて、「故郷を失った文学」などと言っていた小林が、なぜ次第に「伝統」などと言わなければならなかったのか、この間がよく分らない。ここには、学ぶべきことがあるだろう、と。しかも、自分を整理するうえでもいいだろう、と。つまり、「伝統」が分からない僕でも頷く、非常に抽象度の高い批評を書いていた男が、にもかかわらず、なぜ「伝統」と言いはじめるのか、ということで、まず小林と対話を始めたというのが修士論文ですね。

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