カルチャースタディーズ 30代インタビュー 第2回
- 建築家 らいおん建築事務所 主宰 嶋田洋平さん
三浦:元祖フリーターって感じだよね(笑)
嶋田:そうですね。なんかプラプラしてる、ってそういう状態かもしれないですね(笑)。そういうのを見ておりましたので、決まった職業でずっとやる、っていうのが、僕も全然イメージつかないというか。大きな会社に勤めて、サラリーマンになって、というふうにはあまり思えなかった。
三浦:建築はいつ志したんですか。
嶋田:僕が建築を志したのは、高校に入ってですね、どちらかというと、理科や数学が好きだったので、理系の学科に進みたいと思ったんです。それにデザインにも興味があったので、プロダクトデザインみたいな、何かものをつくる仕事は楽しそうだな、と思っていたんです。車をデザインとか飛行機とか、建築とか、おぼろげに思っていたんですけれど。
磯崎新で目覚める
三浦:それが建築に絞られたのは?
嶋田:磯崎新さんが一時期に北九州にいくつかの公共建築を設計されていて、磯崎さんの美術館とか図書館とかあるんです。高校時代、ボランティア活動で、学校の近所を清掃して回るっていうイベントがありまして、戸畑(とばた)にある美術館まで歩いていったんですね。そこに磯崎さんの、北九州市立美術館という奇怪な建物があるんですけど、それを見て。
三浦:メタリックな感じですか。
嶋田:えぇ。「でかっ」と思って。でかいし、なんかキャンチレバーの不安定な構造していて、おもしれぇな、と。
三浦:ポストモダンのね。それが高校の…。
嶋田:1年か2年のとき。15、16歳ですね。谷伍平という市長が5期くらいやっていた時代にかなり有名建築家の公共建築ができたようです。
三浦:磯崎さんは九州の方?
嶋田:磯崎さんは大分出身です。それで、九州に磯崎建築が点在しているんです。
三浦:福岡に、たしか磯崎新の寿司屋、あるよね?
嶋田:ほんとですか?
三浦:吉村順三の割烹もある。で、その磯崎新のポストモダン建築を見て、やっぱり車じゃなくて、建築だと。
嶋田:建築、大きいからいいかな、と(笑)。単純ですけど。
三浦:それで、東京理科大へ。理科大は何先生?
嶋田:理科大では小嶋一浩(CAt(シーラカンス・アンド・アソシエイツ・トーキョー)主宰)先生のゼミに4年生のときに入りました。
三浦:で、2001年、大学院を終えてみかんぐみ。でも、大きなものをつくる、っていうと、みかんぐみと違う気がするんだけど。
嶋田:当時、ぼくは、就職活動全くしてませんで、大学院の修士設計をやっている最中に、小嶋先生のところで助手をされていた小池ひろのさんという建築家に呼ばれまして、「嶋田君、就職、決まった?」って聞かれて、「いえ、決まってないです」って言ったら、「みかんぐみが募集しているんだけど。行ってみない?」って言われて。みかんぐみって名前は聞いたことあったんですが、「ちょっとよくわかんないんで、設計が終わってからお返事します」と言って。で、終わって面接に行ったら決まって。そんな感じなんですよね。