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カルチャースタディーズ研究所は
社会デザイン研究者の
三浦 展が主宰する、
消費・文化・都市研究のための
シンクタンクです。

カルチャースタディーズ 30代インタビュー 第2回

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建築家 らいおん建築事務所 主宰 嶋田洋平さん

三浦:あそこがつくってるもの、全然大きくないじゃん。

嶋田:卒業する頃には、仕事は大きくなくても良くなってたんです。でも、みかんぐみは当時は小さかったんですけが、少しずつ仕事が大きくなって、最近は公共建築も数々手がけるようになっていまして、僕が最後に担当させていただいたのは横浜の中学校の新築でした。

みかんぐみ時代

三浦:みかんぐみではどんなことをされてきたんですか?

嶋田:最初の1、2年間は主に住宅ですね。スタッフも少なかったし、仕事をとるのにコンペに出しまくったり、実際に建つかわからない仕事もやっていました。

三浦:そのころ、もう横浜?

嶋田:いえ、その頃は上野毛に事務所がありました。

三浦:ああ、曽我部さんや竹内さんが坊主頭だから、オウムに間違われたって言ってたな。

嶋田:2年間くらいは、とにかく沢山の仕事をこなさなければならない状態にありました。僕が入った3年目、たぶん、それはみかんぐみとしても転機だったと思うのですが、愛知万博のトヨタグループ館の設計の仕事が入ったんです。パビリオンだから仮設建築で、なくなっちゃうんですけれど、規模は大きくて、社会的にも認知されるような仕事です。それを担当させてもらいました。広告代理店と一緒にやって、ものすごいスピード感でしたけれど、勉強になったし、楽しかったですね。

三浦:それで、独立したのが?

嶋田:2008年です。そのあとも沢山のプロジェクトを経験しましたが、みかんぐみでいちばん大変で、でも楽しく思い出深いのは、トヨタグループ館かもしれないです。2003年から2005年にかけての仕事です。

三浦:へぇ。愛知万博は見ていないんだけれど、どんな感じだったんだろう。

嶋田:当時、トヨタ自動車は未来社会の交通システムを提案していました。1人乗りのビークルがコンピュータで制御され、電気で動き、人の移動の楽しさとそれによって生み出される豊かな未来社会を創造する。と、そのための乗り物をコンセプトカーとしてつくっていました。i-unitといいます。そのi-unitを使って、フランス人演出家のイブペパンの演出で700人規模の円形劇場の中でショーをやったんです。パビリオンの目的は、愛知万博のテーマの一つであった循環型社会をいかに実現するかでした。当時、みかんぐみが提案したのは、パビリオン建築の建設における3R(リデュース・リユース・リサイクル)の徹底でした。そこで建物の外壁などの下地に使われるリップ溝型鋼、通称Cチャン(C形チャンネル:断面が「C」形に近い溝形鋼))を使ってこの巨大なシアター本体を建設するというものでした。
どうしてかというと、日本の建築は、建物の材料をなかなかリユースできないんです。鉄骨の構造材は法律で原則リユースできない仕組みになっているんです。建物の主要構造部に使われる鋼材は、「どこの製鉄所でつくられた、こういう組成の鋼材です」と表記されたミルシートという証明書が必要です。主要構造物である柱や梁の材料は、ミルシートがないと検査に合格できないんです。そこで、リユースするために、ミルシートの必要がないものに再利用すればいいんだから、建物の主要な骨格ではない、たとえば壁をつくるための下地材とか、そういったものに転用できる材料で構造本体をつくってみようという計画でした。
長径46メートル×短径40メートルの長円型のシアターを、こんな小さい柱を、こう、たくさん立てて(笑)。LGSみたいな小さい柱を束ねて、網に見えるような構造にして、全部リユース可能。環境にやさしいというと、イコール木を使いましょう、みたいなのがありましたが、そうではなくて実際に別のものに転用(リユース)できる、ということを考え、大きな規模で押し進めていったらどうなるか、というのがトヨタグループ館です。パビリオンというのはその時代の実験だし、博覧会は次なる生活に社会に対する実験場だからこそできた、普段の仕事では絶対にできない提案でしたから、本当に楽しかったです。

>2005年日本国際博覧会 トヨタグループ館/みかんぐみウェブサイトより

三浦:みかんぐみでは、リユースみたいなコンセプトを強く学んだの?

嶋田:環境への配慮とか、資材の再活用、リノベーションとかは学んだと思います。

三浦:小嶋先生のところでは、そうでもない?

嶋田:かなり違いましたね。でも小嶋先生は10以上前の僕が大学院生の時に、「これからの日本は新しく建物をたてるような仕事はなくなってリノベーションが多くなる。新築やりたければアジアに出ていけ」とおっしゃっていました。僕、鈍感なんで、その意味を全く理解していなかった。だから、僕が小嶋研で学んだのは、空間の質がどうとか、空間を作る手法を生み出したり、造形的に、光が、空気感がどうとか。そういう発想していいますと、みかんぐみはやっぱりちょっと違って、そのカルチャーショックが最初の1年は大きかったですね。だんだん、まぁ、慣れてきたっていうか。

三浦:やっぱり最初はショッキングだったんだ?

嶋田:そうですね。ミーティングのための模型を作ると、「はい、これは小嶋研なんで」って、よけられたりして(笑)。

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