カルチャースタディーズ 30代インタビュー 第3回
政治と文学、伝統と保守
三浦:本来、大学は実作、と書いてあったけど、つまり、演劇?
浜崎:いえ、僕は小説ですね。
三浦:あぁ、日芸は小説もあるんだ。それは、小説の書き方を学ぶの?
浜崎:一応、そういうことになっています(笑)。ただ、まぁ、高校時代から、ちょっと政治がかった部分もあったということは確かで、やっぱり親の世代の影響もあるんでしょうね。家には、吉本隆明全集の端本があったりとか、そういう家だったので。
三浦:保険会社で?
浜崎:学生演劇に挫折して、生保だったので。
三浦:タモリも最初、生命保険会社だったんだよ(笑)。朝日生命。
浜崎:あぁ、そうなんだ(笑)。まぁ、そんな感じだったんでしょうね。
三浦:じゃあ、お父さんは比較的、そういうのをたくさん読まれていた、と。
浜崎:そうですね。当時の学生が普通に読んでいたというレベルだとは思いますが。早稲田の社学なので、想像はつきますよね(笑)。
三浦:早稲田なんだ。ますますタモリ(笑)。
ところで、比較的普通の人でも名前くらいは知っている小林秀雄と、まぁ、普通の人だと、とくにいまの時代の若い人だと知らなくて当然の福田恆存だから、ぼやっとしていると、出会わないじゃないですか。そこはどういう契機があったんですか?
浜崎:まず、小林秀雄が「伝統」と言い出した経緯を押さえたとき、それが当初考えていたことよりも相当困難な道だったのではないか、という反省がありました。たとえば、普通、小林を簡単に批判する人は、それを単純な「実感信仰」であったり、「直観主義」であったり、あるいは、ずるずるべったりの「日本回帰」だったりと言うことがよくあるんですが、それはそういうことではないだろうという確信を得た、と。ただ、これを戦後の、しかも今を生きる「私」の問題として語るには、小林秀雄では足りないんではないかというちきに、河上徹太郎の「小林秀雄への手紙」というエッセイが導きの糸になりまして。
三浦:へぇ。
浜崎:そのなかで、初期の小林のように、元気のいい、ポレミックな、それでいて常識力のある男が、進歩主義者が跋扈する「戦後」の今にこそ必要ではないかと書いていて。
三浦:それは何年ごろの論文ですか?
浜崎:1957年です。普通、「伝統」というと保守ですから、もし「戦後」を対象にして、小林的なるものを考えようといったときに、誰がいるんだろうといって、保守系の文学者たちを当たっていったんですね。もうちょっと言うと、博士論文自体は、保守の文芸批評家たちを全部、俎上に上げてまとめようかなと思っていたんですが、そのなかで遅まきながらに福田に出会っていくと。しかも圧倒的な衝撃とともに。で、福田を読んじゃうと、他の保守評論家が完全に影が薄くなっていくわけですね。