カルチャースタディーズ 30代インタビュー 第3回
三浦:そうでしょうね。
浜崎:そうすると、もう、福田一本でいこうということで。
三浦:最初は総覧するつもりが。
浜崎:そうですね。まさに序論でやった江藤とかもやるつもりだったんです。小林、江藤、福田、あるいはそこに三島を入れてもいいかもしれないぐらいの。と思っていたんですが、やっぱりちょっと福田を入れちゃうと整合性がとれない、という感じがあって。ま、福田だな、と。で、まず、「一匹と九十九匹と」というエッセイを取り上げた。
三浦:政治と文学ね。。
浜崎:そうですね。あと、『人間・この劇的なるもの』と、『私の幸福論』、この3つくらいが、なんていうんでしょう、圧倒的でしたね。まぁ、政治と文学の「一匹と九十九匹と」の話は、まさに、僕自身がおそらく解決がつかなかったところを、一刀両断で斬っている。もちろん切ったあとに、その処方箋まで提示しているわけではないんですが、でも政治と文学の二律背反に立ち止まって、まずはそこをちゃんと見つめようっていう人間が、果たして戦後にどのくらいいただろうか、と。で、そう考えると、やっぱり福田は小林秀雄よりも理屈っぽいんですね。悪く言えば、図式的なんですが、よく言えば、僕らの感性に近い。つまり、「わかるよね」で済ませない、っていう感じが、僕のなかにあったんです。あくまで理屈で追っていく。それが僕にはすごく合った。
三浦:いま、「僕らの感性」っておっしゃったのは? 柄谷に惹かれていたような人たち、っていう意味?
浜崎:という意味もありますし、いや普通に、たとえば、隣で暮らしている同世代の人間に、「日本って実感ってある?」って聞いたときに、そう簡単に「ある」とは言えないと思うんですよ。ネット右翼とかはいますけど、じゃあ、神社仏閣に慣れ親しんでいるかとか、行きつけの蕎麦屋があるかとか、そういう話はほとんどない、と。
三浦:なるほど(笑)。
浜崎:そういう意味でいうと、小林が「わかるよね」で済ませているところ、あるいは、「故郷を失った文学」だというところから、一気に「伝統」と言ってしまうこの間、これを福田は、野暮を承知で。
三浦:野暮ですよね。
浜崎:まさに自ら「野暮」と言いながら、理屈っぽく語ってみせるというのが、ある種、誠実だろうと思ったし。
三浦:そうです。誠実です。そこが職人ぽい。
浜崎:僕にとっても、僕のまわりにも実は福田ファンはいるんですが、そういう人たちにとってもおそらく、素直に入っていけるところなんじゃないかと思いまして。
三浦:私は現役で彼を見ていて、60年安保はもちろん知らないけど、1970年代後半に「世相を斬る」というテレビ番組があって毎週見ていた。YouTubeに誰かあげてないかなぁと思ったんだけど、ないんだよね。誰かアップしないかな。
浜崎:ほんと、そうですね。
関節技で金縛り
三浦:僕もやや左翼系の家庭だったんで、加藤周一とか、鶴見俊輔とか、日高六郎とかね、そういうことを言っている人が正しいと思って育っちゃったんで。実は、個人的に買って読む本は保守系の人の本だったんだけれども、でも大学に入ると、さらに左翼的言説の影響を受けるので。そういう意味じゃ、福田というのは「悪の権化」ぐらいの存在だったから(笑)。
浜崎:そうでしょうね。
三浦:朝っぱらから意地悪な顔して、うるさいおじさんが何言ってんだって思いながらも毎週見てた(笑)。見てたってことは、何か惹かれるものがあったんだろうと思うんだが、まずは福田を論駁してやろうと思って、最初に何を買ったか忘れたんだけど、平和論の本だったかなぁ。それでね、読んだら身体が動かなくなったの。頭が金縛り。つまり隙がない。剣道でいうと、どういっても切り込めないとか、合気道でいうと、関節技が決まっちゃったみたいな、絶対これはダメだ、っていう感じがあって。やっぱり、そこは理屈ですね、確かに。感覚で言っていれば、こっちも「嫌い」で済んじゃうんだけど、「嫌い」では済ませてもらえないものがあるんで、こっちも論理で立ち向かいたいんだが、無理だと。で、かつ、その論理に、小林秀雄の実感とはまた違うんだろうけど、つまり常識ね、庶民の常識みたいなものが、しっかりと根にあるんで、ますます動けないって感じでがんじがらめになって、逆にファンになってしまったんですよ。
僕、社会心理学をやっていたんですが、僕らのころの社会心理学や社会学の教科書って、横のものを縦にするだけで何にも面白くなくて、だから、僕はウェーバーをただ読んでいるだけだったんだけど、社会心理学とか、心理学とか、基本、実験とかでしょ。つまんないだよね。「こんなこと、実験しなくても、常識じゃない」って思うから。
浜崎:そうそうそうそうそう。