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カルチャースタディーズ研究所は
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三浦 展が主宰する、
消費・文化・都市研究のための
シンクタンクです。

カルチャースタディーズ 30代インタビュー 第3回

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文芸評論家 浜崎洋介さん
【略歴】文芸批評家/専攻は日本近代文学、文芸批評、比較文学。日本大学芸術学部卒業。
東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了・博士(学術)。
現在、東京工業大学・日本大学芸術学部非常勤講師

三浦:なるほどね。僕もあのエッセイが好きだけど、あのエッセイが、ある世代的共感を持ち得るというか、時代的な共感を得る状況があるんでしょうかね。

浜崎:でしょうね。

三浦:あれは、老夫婦の例で描かれているので、あれ自体を出すとまぁ反感を食らう面があると思うけれど、物との関係でいうと、素直に理解できるでしょうね。

浜崎:そうでしょうね。

三浦:現代は、人と人がなかなか附き合いにくくなっている面もある。人が物化しているといいますか。一方で、附き合う人をむしろ選べるようになっている。友人関係も選択的になっていたり。そうばかりとは言えないという説もあるけど、たとえば、隣に住んでいるから嫌でも附き合うということは、いまは昔よりないですね。隣の人は違う学校に行っているから、あんまり会うこともないとかね。だから、人は選べるんだよね。ある程度、今の時代は。  しかし、そうすると、さっきおっしゃった、全部選んだら、かえって不安になっちゃうっていうことが起こる。全部自己決定したら、不安になっちゃって、選べないものを欲するようになる。それが伝統ですね。
 神奈川近代文学館の福田恆存展に写真があったじゃない? 最初に福田の家族の写真があって、お父さんが立っててさ、それから、イギリスのストーンヘンジで、福田がコートを着て立っている姿があって、これがまったく一緒なんだよね。同じ立ち方をしている。これがまさに伝統と現代というものですね。いかに着るものは、浴衣から背広とレインコートに変わっても、立ってる姿は同じだっていう。紋付はかまにシルクハットに下駄はいて、みたいな日本の近代がですよ、いくら装いを、まさに意匠を変えてもね、立っている格好は同じだろうっていうね。非常に福田的な皮肉を、福田の立ち方がもう示していてね。あれは面白かった(笑)。

浜崎:そうですよね。選べないんですよね。

三浦:選べないの。どうやったって、親父とそっくりだろう、お前っていうところね。いくら否定してもね。だから、浜崎さんの本の序章にも、しばしば福田らしい、私には懐かしいフレーズが出てきて、たとえばまさに「結局何も変わってないじゃないか」とか「根本的には何も変わってないじゃないか」とか、揚げ足取りとか、小利口とか、要領のいいやつは嫌いだとか、非常に懐かしいです(笑)。

ニュータウン

浜崎:物との附き合いでちょっと思い出したんですが、「消費ブームを論ず」だったかと思うんですが、山本夏彦がそこで最初に引用されています。このたび、三浦さんの本『第四の消費』を読んでいるときに、無印良品について語ってらっしゃるところがあって、そういえば山本夏彦もたしか無印を相当評価していたなぁ、と。

三浦:へぇ、そうなんですか。

浜崎:その山本夏彦から消費ブームを論じ始めているというのが、偶然の一致というかなんというか。  と同時に、三浦さんの『東京散歩案内』『郊外はこれからどうなる?』『「家族」と「幸福」の戦後史』も僕は読んでいたんですけど、これも偶然の一致なんですが、『「家族」と「幸福」の戦後史』の最後に、酒鬼薔薇事件を追いかけて神戸の須磨ニュータウンに三浦さんがいらっしゃいますよね。実は、僕はあの近くに住んでいたんですよ。

三浦:え、そうなの! 須磨に?

浜崎:正確には、近くの西神中央というニュータウンです。中学の頃です。

三浦:そんなに酒鬼薔薇と年違わないものね。4歳くらいか。

浜崎:それで『「家族」と「幸福」の戦後史』で最後に高円寺の話に移りますよね。それが本当にしっくりくるところがあって。

三浦:今のお住まいは江古田だしね(笑)。高円寺に近い雰囲気がある。

浜崎:そう(笑)。なんかこう、そういう偶然がずっとつながっている感じが僕のなかではあって、それで物と附き合うこと、というところまで含めると、三浦さんとつながってくるんだろうなという感想は、勝手にですけど、持たせていただきました。
当時、親がバブルで浮かされて、いま買わないと、どんどん高くなるといって、バブルの最後のときにニュータウンにマンションを買っちゃって、家は相当広くなったものの、結局、ボロ損しましたね。

三浦:それまでは、神戸のもっと都心部にいたの?

浜崎:それまでは、大阪の箕面にいたんですよ。社宅だったんですけど。社宅ってことはまだ転勤があるってことが前提なのに、母がやけに焦っちゃって、それで手を出して。当時は、まだ公団が募集しているころで、そこに応募してしまったんですね。まさに南大沢みたいなもんだと思うんですけど、ああいう感じで引っ越したら、本当にもう、だだっ広いところに、ショートケーキハウスと、鉄筋コンクリートのマンションが味気なくあって、どこにも隠れ場所がない。そういうところで、中学生はどんな基準に晒されるかっていうと、単にどれだけ力が強いかとか、あとは偏差値とか。つまり、みんなよそ者だから、基準がそういう抽象的な基準しかないんですよね。

三浦:わかりやすい基準ね。

浜崎:そうすると、校内でものすごいいじめがある。一方で、偏差値競争が異様だ、というなかでうんざりして。つまり、大阪の住宅街とはいえ、箕面って、まだ古いところだったので、そこで、友だちと祭りなんかに行ったりしながら小学校時代を過ごしたその感覚と、ニュータウンに来てからの人工的な感覚がものすごい落差で、不快で不快でしょうがなくて、っていうのはありましたよね。だから、ポートピアもそうだし、神戸自体が表の顔を、相当、化粧していますよね。それと、大阪のどうしようもなさというのとのギャップもまたすごくて、そういうのを見てから、高校になって東京に来たときは、本当に安心しましたね。たとえば、最初、巣鴨だったんですが、そうすると、いま考えると絶対嘘なんだろうけど、そこに傷痍軍人なんかがいるんですよ。

三浦:え? そんな最近に?

浜崎:そう。いや、軍歌を流していて、包帯を巻いていて、ゴザを敷いて座っていて、ください、と。巣鴨のおじいちゃん、おばあちゃんはいい人が多いから、くれるのかもしれないし、あと、大道芸人やチンドン屋さんとかもいたりして、ウソみたいに古い。東京って、僕の頭のなかだと、大都会の中心だと思って来たのに、ここにむしろ前近代的な古さがあるというのが驚きでしたね。

三浦:そうなの。須磨ニュータウンは、2回行ったかなぁ。1回だけかな。事件のあとね。やっぱり行くと、肌で感じることがあって、結局、ずっとそのテーマを追うことになるけど、つまりこれは私有の空間だと。須磨で思いついたんですよ。あれがなければ、『第四の消費』もない。なんで全部、この空間は所有者が明らかなんだろうって。小学校のネットとかも、異様に高いじゃない。武蔵野市とか、そんなにネットないんだよね。あれ?と思って。曖昧な空間じゃないんだよね。曖昧な空間だらけの阿佐ヶ谷団地は、こっぱみじんになるらしいんで。曖昧さが、空間的に排除されているよね。

浜崎:おっしゃるとおりですね。

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